岡野雅行の伝説 逸話などのエピソードまとめました

元日本代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワードのサッカー選手
現在は、ガイナーレ鳥取の代表取締役GM
「野人」のニックネームで親しまれ、
1998年フランスワールドカップへの切符を獲得した立役者である岡野雅行の伝説やエピソードまとめました。

岡野雅行の伝説やエピソード

とにかく足が速い

岡野雅行は俊足で知られている。
学生時代に陸上部と100m走の勝負をしたが、バスケットシューズ(バッシュ)を履いた状態で陸上部に勝利した。
その時のタイムは10秒8
走力だけみれば世界レベルだがドリブルが下手だった。

犬にも勝つ

ある日、放し飼いの犬に追いかけられた岡野雅行
これはヤバイと全速力で逃げ、なんとか金網まで到達しその金網に登った。
振り返ると追いかけてきていた犬が舌を出してへばっていた。

岡野雅行の点の取り方

サッカーでは普通、味方からのパスを受けてシュート、ドリブルで切り込んでシュートなどから得点するが、
岡野雅行は、自分で遠くへ蹴ったボールに走って自分で追いつきシュートを決める方が楽だと気付きプレースタイルを変更した。

医者をも驚かす岡野雅行

浦和レッドダイヤモンズに入団したプロ初年
ヴェルディ川崎戦中に岡野雅行は、相手ゴールキーパーと衝突してしまい救急車で運ばれた。
肺に穴があいており3ヶ月入院と告げられたが、翌日医師がレントゲンを見て一言「なんか治ってる」
そういえば痛くなくなってると思い退院した。
現代の医学では考えられないと医者もパニックになった。

秘密兵器岡野雅行

98年フランスワールドカップの予選で一度も試合に出ていなかった岡野雅行。
当時の監督である岡田武史に「どうして出してくれないんだ」と直談判したところ
岡田監督に「お前は秘密兵器だ」と言われ、喜んでベンチを暖めていた。
勝てばワールドカップ初出場、負ければ地獄という最終試合が延長戦までもつれこんだ頃、
岡野は会場の異様な雰囲気にのまれ「絶対に出たくない」と体を小さくして監督の目に付かないようにしていたが
まさかの延長戦での出場を言い渡される。
なんども決定機をはずし死にたいと思っていたが、決勝Vゴールを決め見事ワールドカップ初出場を果たした。

岡野雅行の高校伝説

  • 入学式でまわりの生徒は特攻服にマスク姿
  • 門限(18時)を守らなかった為、前歯4本を折られた
  • 理事長の岡崎功は松江騒擾事件の首謀者で、無期懲役刑をうけた
  • 授業で三島由紀夫の生首の写真を見せ、教師が涙しながら愛国心を説く
  • 脱走者が出ないようにトイレの窓を開けただけでブザーが鳴る
  • 1時間ただただ立ち続ける「不動」という授業がある
  • サッカー部はなかったが岡野雅行が理事長にかけあってサッカー部を創設した
  • サッカー部に経験者はほとんどおらず岡野雅行が監督兼選手でひっぱる
  • FWのI先輩:ソロでは学内ケンカ最強でテコンドーの経験者、高いボールに足が出てしまう為ファールが多かった
  • FWのU兄弟:兄はフィジカル最強で、相手の当たりに気付かない。弟は運動量が豊富。地元に帰ると数千人のヤンキーが迎えに来る
  • MFのC君:岡野の後輩でリズム感と身のこなしが抜群だが遅い。のちにダンサーとなった
  • DFのH先輩:ガタイがよく、いかつい眼光でディフェスをする。負けず嫌いでファウルばっかりする
  • GKのM君:ドッジボールが上手だったのでスカウトされた。キックは下手なので常に遠投してもらっていた。
  • サッカー部初の練習試合は校舎の窓ガラスが全部割れているヤンキー高校。途中から生徒が押し寄せボールに一度も触れる事なく20人対100人の大乱闘でスコア0-0の初勝利
  • その試合後、サッカーがしたいと涙した岡野に部員は改心。真面目に練習したところ1年後には県で3位になるまでチームは成長した
  • 高校最後の試合で岡野がPKを外して試合終了。立ち上がれない岡野の元へチームメイトが来て「外したのが岡野でよかった、俺らが外して最後だったら誰も納得できない」と言葉をかけてくれた

岡野雅行のエピソード投稿

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投稿されたエピソード

  1. andy より:

    血液検査
     浦和で練習中に選手の血液を採取して検査を行なったところ、岡野だけが動物と同じ疲労・回復のパターンを示した。

    高校時代
     松江日大高(現・立正大湘南) 全寮制。夕方5時を過ぎると部屋にシャッターが下ろされる。少しでも開けようものならブザーが激しく鳴る仕組み=刑務所!

    卒業旅行は原宿。そこでも寮と同じくシャッターが閉まり、ブザーが鳴る仕組みの部屋だった。午前3時にブザーが鳴り、バスで靖国神社を参拝。直後にバスで皇居へと向かい、ちょうど紀子様の結婚式当日にあたり、部屋を掃除した。紀子様の御礼の言葉を前に理事長は号泣。

    その理事長、三島由紀夫が割腹自殺した際、後追い自殺を図る。用務員が傍らに立ち、校長が介錯人を務めた。2人とも警察に逮捕されたが、理事長は死亡しなかったため、殺人罪とはならなかった。

    1時間目の授業は「行動」、これは直立の姿勢を1時間保つ内容で、少しでも動くと背後を回る教師に竹刀で叩かれる。
    2時間目は裏山を削り、岩を移動させるなどの内容。
    遠征(?)では日の丸の旗を持ち国歌を斉唱しながら行進していった。一回の移動で国家を40回ほど歌った。

    大学時代
    推薦で日大に入るも、サッカー部への入部ではなかった。それでサークルか同好会を目指した。
    ある日、校内に「サッカー部員募集」の案内が掲示されてるのを見つけて応募する。
    60名がテスト会場に集まり、合格は岡野を含め2人だった。岡野はゲームで4点を取ったため。
    しかし募集は選手ではなかった。先輩から「洗濯にする? マネジャーをやる?」と聞かれ、洗濯を選ぶ。
    これにより練習に参加が可能となる。そして練習を見ていた監督に目を付けられ試合のメンバーに入る。

    上級生と下級生の関係が厳しかった時代、先輩からは「なんでアイツが…」と文句を言われっぱなし。
    日大対筑波大でもスタンドから先輩たちの文句を耳にする。当時の筑波は黄金時代でJリーグのスカウト多数が視察に来ていた。試合は開始5分で先輩FWがケガで退場、岡野に出番が回る。
    スタンドからの野次と怨嗟が消えない。岡野は前半1点、終了間際に1点を取り勝利に貢献する。
    天皇杯を翌日に控えながらも試合がないと思い込み、渋谷で朝の3時まで飲んでいたが、後輩が日程を確認するとやっぱり試合日であることが分かり、慌てて秩父の会場に向かう。
    ここでも先輩たちから怨嗟と野次。ホームなのにアウェーのようである。岡野は6点を奪った。

    日本代表
    ジョホールバルで岡野は必死に岡田に出場をアピールするアクションを取る。ウォーミングアップばかりか、スライディングまで目の前でやったのだ。
    ゴールデンゴールを決めた際はイランベンチに向かってしまった。気づいて日本ベンチに向かい、「あ、メガネだ」と確認した。
    「あのままイランベンチに入ってたら射殺されてましたよね」

  2. andy より:

    野人の語源

     浦和が豪州遠征に行く際、岡野は友人に豪州について尋ねた。「暖かいところですよ」と聞き、渋谷でブランドものの半ズボン・半袖シャツ・サンダル、リュックを揃え、その格好で飛行場に着くと、全員がスーツ姿だった。GK土田が岡野の恰好を見るや「お前、野人かよ」。これが翌日の朝日新聞にベタ記事で掲載されたのが始まり。