哀川翔の伝説 逸話 エピソードまとめました

小木茂光や柳葉敏郎とともに一世風靡セピアとして活動していた哀川翔
芸能界でアニキとも呼ばれる哀川翔の伝説や逸話などのエピソードまとめてみました。
ケンカに関する話からカブトムシの話まで。

哀川翔ケンカ最強伝説

暴走族から諸星和己を救った哀川翔

六本木で光GENJIの諸星和己らと一緒に車に乗っていた時に暴走族に囲まれてしまった。
哀川翔は、諸星和己に「お前は有名人だから車の中にいろ」と1人で立ち向かい、「もう帰ったほうがいいよ、君たちは」と言っただけでその場が収まった。
「年下に負けるわけないんだから」が哀川翔の理論。
同級生にめちゃくちゃ強い奴がいたが、そいつの兄貴には絶対勝てなかった事からこの年上最強理論に行き着いたらしい。

暴走族をアシに使う

哀川翔は、新宿で朝方まで飲んだ時等、知らない暴走族に「ちょっと家まで送ってよ」とタクシー代わりに使っていた。
飲み屋をハシゴする時も暴走族がいたら「ちょっとあそこまで乗せてって」と乗っていくらしい。
哀川翔曰く、すごく丁寧でタクシーよりも道を知っているらしい。

哀川翔の男気

哀川翔が知り合いの結婚式に出席した時の事
絶対に暴れないでねと念をおされていた哀川翔。
しかし酒癖の悪さで有名な柳葉敏郎が哀川が酒を飲んでるロックグラスにタバコをジュッっと入れたが、哀川翔は暴れないという約束を守るためそのまま飲み干した。
そのと後、柳葉敏郎は木村一八にもちょっかいを出して結局結婚式は乱闘になった。

ケンカではなくイジメだった

哀川翔は小学生の頃、20対1のケンカをした事がある。
しかも勝ってしまう。
よくよく考えるとあれはイジメに遭っていたと大人になってから気がついた。

哀川翔の夫婦喧嘩

哀川翔は妻である青地公美との夫婦ケンカで、自宅の壁や強化ガラス、自動車のフロントガラスも壊す。
修理費が全部で117万円かかったという。

300人対100人の大乱闘

哀川翔が一世風靡セピアに加入する前のローラー族時代の事
原宿の竹下通りで300人対100人の大乱闘に参戦した。
ちなみに哀川翔側が300人で暴走族側が100人だった。

中野英雄との出会い

哀川翔が19才の頃に、10人ぐらいでたむろしていた不良グループに注意した。
その中に中野英雄(16才)がおり、哀川翔にケンカを売ったが3秒で瞬殺されたという。
それ以降、中野英雄は哀川翔を慕うようになった。

哀川翔のケンカのやり方

哀川翔はケンカをする際、自分と相手の左手をロープで結んでドツキあう。
逃げられないし早く終わるからいいらしい。
あとケンカを長くやると身体によくないらしい。

哀川翔のその他のエピソード

矢沢永吉と哀川翔の握手

飲み屋でばったり会った矢沢永吉と哀川翔
「矢沢です」と言って握手を求める矢沢永吉に対し、哀川翔も「哀川です」と言って握手。
目をそらしたら負けのような謎の戦いが始まり、2人は握手したままの状態で20分動かず、矢沢永吉が握手をやめた後に一言「最高!」といった。
哀川翔曰く矢沢永吉は、今まで会った人の中で一番恐い大人。

ゴルフよりカブトムシ

ゴルフ中でもキャディーさん「このゴルフ場でカブトムシがいちばんいるのはどこだ?」と聞く程のカブトムシ好き。
カブトムシ飼育専用の倉庫も借りて1年で5000匹も孵化させたこともある。そのカブトムシは被災地の子供達に配った。
北海道遠軽町丸瀬布の「丸瀬布昆虫生態館」にて「まるせっぷ昆虫大使」に任命され「カブトムシ・クワガタ特別学芸員」になった。
その「丸瀬布昆虫生態館」には哀川翔が寄贈した昆虫のコーナー「アニキの森」もある。

おっちょこちょいな哀川翔

運動神経抜群で高校生時代には器械体操部と陸上部を掛け持ちしていた。
体育教師になりたくて日本体育大学に推薦で入学するつもりだったが、入学願書を出し忘れ夢はかなわなかった。

哀川翔のカツラ疑惑

若い頃から変わらない髪形の哀川翔。50才を超えているわりには不自然だとカツラ疑惑がつぶやかれています。
しかし周りの人間の証言でカツラではないと否定されています。

羽賀研二が嫌い

羽賀研二が苦労して買った300万円のBMW。
哀川翔が新宿でそれを見つけ、生意気なもんに乗ってんじゃねえとBMWをボコボコにした。

新幹線ジャック犯を捕まえた

哀川翔が新幹線ジャックに遭ったところ、その道の人と協力してジャック犯を捕まえたと「堂本兄弟」にて話された。
しかしニュースにもなっておらず真相はわからない。

ショウロンリーリバー

若い頃、雑誌「ポップティーン」のアルバイト雑誌記者として働いていた。
その時使っていたライター名が「ショウ・ロンリー・リバー」
当時から「哀しみは川に流して翔べ」という言葉が好きだったようで、
その漢字をとって芸名である「哀川翔」が誕生した。

座敷わらしに会った事がある

当時1歳と2歳だった子供達を夜に起こしてトイレに連れて行った時の事
いつのまにか2人だった子供が3人になっていた。
3人目の子供は3,4歳くらいのオカッパ頭で昭和の顔だったらしい。

心肺停止で40分も無事に帰還

哀川翔は30歳を超えたころに疲労から心肺停止が40分続いた事がある。
その状態から戻ってこられるのは100人に1人らしい。
ちなみにその事を哀川翔は1000人に10人と発言している。
1000人に10人だと200人に1人いないかもしれないじゃんとよく分からない事を言っている。

夜のヒットスタジオを3回出禁になる

哀川翔は「夜のヒットスタジオ」を3回出禁になった事がある。
1回目は、前の出番の歌手のために炊いたスモークで滑ってしまいスタッフにキレたところ、逆に「てめえらガキにそんなこと言われる筋合いはねえんだ!」とスタッフにキレられて。
2回目は、その出禁中にスタジオの袖から紙飛行機を飛ばして他の出演者を邪魔する遊びをしていた為。
3回目は、郷ひろみの決めポーズの瞬間に前方宙返りで美味しい所をもっていった為。

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